2008,05,23, Friday/五代目
どうして宿屋の「つばや」が御菓子屋に?
江戸時代から時代は文明開化の明治になり、藤堂藩は解体。
それと共に、鉄道が発達してきた。このため産業構造や流通経路に変化がおき、伊勢街道は次第に商売人たちが徒歩で通らなくなってきました。そして、伊賀街道の宿場は、さびれはじめておりました。
このままでは、いけないと宿屋を営んでいた「つばや駒次郎」が宿屋へ後戻りはもうしまい!と宿屋時代の備品をすべて売却し資本を作り、宿屋を廃業。
そして山田地区にはまだ一軒も存在していない造り酒屋を始めようとした。
しかし、残念ながらこの事業に失敗(T_T)
でも、めげずに駒次郎は、明治参拾九年(1906年)に、この地の特産のお茶と茶菓子を出す「お茶屋」(現在の喫茶店)を始めた。
これが和菓子屋の第一歩。その後、お客さんの喜ぶ茶菓子に注目し、和菓子屋になりました。
そして時代は明治から大正、昭和と移りかわり、和菓子屋として2代目の「喜右衛門」→3代目「宏」→4代目「喜三雄」が和菓子屋を受け継ぎ、現在、私、5代目こと、 辻 喜仁(よしひと)が同い年の家内と共に店の切り盛りをしております。
江戸時代から時代は文明開化の明治になり、藤堂藩は解体。
それと共に、鉄道が発達してきた。このため産業構造や流通経路に変化がおき、伊勢街道は次第に商売人たちが徒歩で通らなくなってきました。そして、伊賀街道の宿場は、さびれはじめておりました。
このままでは、いけないと宿屋を営んでいた「つばや駒次郎」が宿屋へ後戻りはもうしまい!と宿屋時代の備品をすべて売却し資本を作り、宿屋を廃業。
そして山田地区にはまだ一軒も存在していない造り酒屋を始めようとした。
しかし、残念ながらこの事業に失敗(T_T)
でも、めげずに駒次郎は、明治参拾九年(1906年)に、この地の特産のお茶と茶菓子を出す「お茶屋」(現在の喫茶店)を始めた。
これが和菓子屋の第一歩。その後、お客さんの喜ぶ茶菓子に注目し、和菓子屋になりました。
そして時代は明治から大正、昭和と移りかわり、和菓子屋として2代目の「喜右衛門」→3代目「宏」→4代目「喜三雄」が和菓子屋を受け継ぎ、現在、私、5代目こと、 辻 喜仁(よしひと)が同い年の家内と共に店の切り盛りをしております。
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