なぜ屋号が、「つばや」?::つばや菓子舗

つばや菓子舗

猿蓑もなか 背黒餅でおなじみの

なぜ「つばや」?

 みなさんに「つばや」という屋号について「唾(つば)が出るほど 美味しいお菓子屋だから?」
と聞かれますが、 この名前の由来は江戸時代に溯ります。

 当店の近くを津市から上野市にかけて通る現在の 国道163号線は、その昔、伊賀街道と呼ばれ、京、 大和方面と伊勢神宮を結ぶ参宮道のひとつでした。

 江戸時代には藤堂高虎が津城と上野城を往来するための 重要な藩の交通路となり、平松宿、平田宿などを中心に賑わって おりました。
松尾芭蕉もこの伊賀街道を通っていたようで、 街道のあちらこちらに句碑が建てられています。

 この平田宿にて「つばや菓子舗」のご先祖は宿屋を営んでおりました。
当時、宿屋をしていると、お金の持ち合わせのない人は、印籠や金銭的価値のあるものを代金の代わりに渡して旅を続けたようです。

その中に含まれていたのか、譲り受けたのか、定かではありませんが、江戸時代の我が家に少し変わった日本刀の鍔(つば)が あったのです。
この鍔が評判になったらしく、いつのまにか「つばや」と呼ばれる様になったようです。

鍔には、「藻柄子 宗典」と銘が彫られており「刀剣美術工芸社発行」の「刀剣要覧」よると 「藻柄子入道宗典」(江戸中期)作、だということでした。

以下、「刀剣美術工芸社発行」「刀剣要覧」より抜粋引用
  宗典は江州彦根中藪住喜多川、藻柄子と号、 京都八幡町産にして初銘秀典と称す、後藤の 弟子となって北河秀典製とも銘ずと云ふ、 時代元禄頃、行年七十三才製の作あり、 歿年八十才頃、長寿者なり。 作柄は、丸彫透し金銀布目象嵌を最も 特技とす。
(でも、当店の所有の作品にはすでに「錆」が出ています(^^;)
つばや所有の鍔(拡大)
(現在、当店の包装紙にこの「鍔」をプリントしています。)

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| 10:27 PM | comments (0) | trackback (0) |

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