商品::せえくろ餅::つばや菓子舗

つばや菓子舗

猿蓑もなか 背黒餅でおなじみの

背黒(せえくろ)餅は伊賀で一番伝統ある御菓子かも!?
第19回全国菓子大博覧会「菓子産業大賞」受賞
背黒(せえくろ)餅
産業振興センター・アニーズ/オオクワ新堂店/伊賀風土FOODマーケットで販売しているものは当店の製品ではありません。類似品にご注意ください。
当店から南東に300mほどの場所にある植木神社祇園祭にかかせない夏バテ予防の「土用餅」が「背黒(せえくろ)餅」です。
(背が黒い餅=背黒餅=伊賀弁で→せいくろ餅→せえくろ餅)

諸説入り乱れる伊賀市旧大山田村(山田地区)の植木神社(伊賀市平田)祇園祭の由来は、貞観11年(896年)に始まったとされる説もあったり、寛弘(1104年)村人が播磨国広峰山より午頭天皇を迎えて蔓延していた疫病の退散を祈ったことに始まるものだとも言われており、「せえくろ餅」もこの祇園祭と共に歩んで来ています。背黒(せえくろ)餅の発祥の記録が現存していないものの、伊賀で一番古くから伝えられている郷土菓子だと推測されています。

当店がある伊賀市平田は、その昔、伊賀街道の平田宿として栄えていました。 平田宿には近年まで和菓子屋が3軒あり、各お店で「背黒(せえくろ)餅」を製造していました。しかし、今では当店だけが平田宿で「背黒(せえくろ)餅」を製造し続けています。

背黒(せえくろ)餅の由来は・・・
古代、疫病、水難、冷害にて作りと作る物皆不作となり農民の生活が非常に苦しくなったその時、農民即ち氏子の者共が相計りここで皆がくじけてはいけないと皆が体を陽に焼いて体をきたえ一生懸命頑張ろうと神に祈ったのである。そうすると翌年からは豊作続きとなり豊かな暮らしが出来るようになりました。
そこで植木神社(植木牛頭天王)の氏子が餅を細長く作り、それを人の体にたとえ、背を黒く焦がした(焼く)餅を作り毎年神に供え感謝してきています

ということで、植木神社の氏子が植木神社の祇園祭に土用餅として奉納している背が黒く焼かれた餅が正統な「背黒(せえくろ)餅」で、我が家は先祖代々「植木神社」の氏子で、毎年植木神社の祇園祭に「背黒(せえくろ)餅」を奉納しております。
材料:砂糖(国産)、北海道産小豆生餡、米、餅、オリゴ糖、麦芽糖、水飴/トレハロース(同一ラインで小麦粉使用)

大山田:植木神社祇園祭名物の「背黒(せえくろ)餅」が、伊賀市内のスーパーなどで販売されているようですが、当店のものと比べ原材料や製法が全く違う類似品のようです。 つばやの「背黒(せえくろ)餅」をお求めの際には、表示シールにつばや菓子舗製造になっているかをお確かめのうえでご購入ください。
背黒(せえくろ)餅販売場所・・・
つばや菓子舗(伊賀市平田)、 ひぞっこ(JA直売所) 、マックスバリュ上野店、マックスバリュ上野小田店、マックスバリュ佐那具店、イオン伊賀上野店 (※西町や かかん さるびの温泉 :現在お休み中)

「背黒(せえくろ)餅」 こぼれ話。
平田宿で昭和12年生まれのA.M.さん曰く、「私が物心ついた頃の話やけど、明治生まれのお婆さんに『火箸を炭で赤くなるまで焼いたもので、餅の背中だけ焼くんやで』と背黒餅の作り方を家で教えてもらったんです。祇園祭にあわせて家で作った背黒を親戚に配って食べてもらったいたんです。」
「私が平田宿にお嫁に来たら、姑さんやお婆さんに背黒の作り方を教えてもらって家で作っていましたよ」と、N.F.さん。
| 商品::せえくろ餅 |
| 01:17 PM | comments (4) | trackback (0) |

コメント一覧

五代目 | EMAIL | URL | 2009/07/29 03:11 PM | /57SqjpQ |
kasumi | EMAIL | URL | 2009/07/29 01:21 PM | XK3qhA0I |
五代目 | EMAIL | URL | 2009/07/26 11:15 AM | /57SqjpQ |
kasumi | EMAIL | URL | 2009/07/25 12:48 AM | XK3qhA0I |