このへんのお墓は古墳が当たり前?::つばや菓子舗

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猿蓑もなか 背黒餅でおなじみの

これもかなり昔の話です(^_^;)
鳴塚古墳
大山田地区内や、周囲を囲む林道を車で走っていると田圃の真ん中や木立の中にこんもりとした小高いものが目につきます。
(上の写真は、伊賀市鳳凰寺(Bouji)にある「鳴塚古墳(Narituka)」です。)
寺音寺古墳
(写真は伊賀市炊村にある前方部分が畑として耕されている「寺音寺(Jionji)古墳」)

 当地、大山田地区での人間の営みは古くからあったようで様々な時代の古墳や出土品が発掘されています。
南東の大山田地区境に位置する布引山地の尾根からはサヌカイト製の「やじり」、河岸段丘上の西谷遺跡(平田)からは縄文中期(紀元前3000年頃)の船元式土器(Funamoto)が出土しています。

また、各地に小国が分立する弥生時代(紀元前3世紀前半から紀元後3世紀前半)の遺跡としては盆地の東および南側の低位段丘上に小型の遺跡が点在しています。

 5世紀に入ると前方後円墳の「荒木車塚(Arakikuruma)」「寺垣内古墳(Teragaito)」、炊村(Kashiki-mura)地区の田園のなかに数本の樹木を乗せ、前方部分が畑として耕されている「寺音寺古墳(Jionji)」6世紀になると天皇が変わる度に鳴ると伝えられる鳳凰寺(Bouji)地区の「鳴塚古墳(Narituka)」・中村地区にある「辻堂古墳(Tsujidou)」といった首長級の古墳が造られ、その後に築かれた鳳凰寺・中村地区の古墳群はその密集度において伊賀随一を誇っている。


| 地域情報::旧大山田村 |
| 05:49 PM | comments (0) | trackback (0) |

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